「しっかり働き、しっかり遊べ!」
“縁の下” で島の生活水のライフラインを支える
約2,300人の島民が暮らす海士町。世帯数は1,300弱で、多世帯同居やシェアハウスも多いものの、家屋の数はそれなりにある。事業所の施設・工場もある。
それらから出る下水を処理し、適切に管理する役割を担う会社が、中ノ島総合クリーンセンター(以下、中ノ島CC)。普段はその存在を島民が意識することは少ない、“縁の下の力持ち”の極みだ。長く住むIターン者でも下水処理施設の場所を知らない人は多い。
「そりゃそーだな。地元民だって、この場所を知らん人はおると思うよ」
そう話すのは、中ノ島CCの中村誠さん。父親が立ち上げた会社を継いだ、2代目社長だ。
真顔で近づいて来られたらちょっと怯みそうな風貌ではあるが、その笑顔は優しい。口数は少なく、地元民にありがちなぶっきらぼうな喋り方ながら、時折ユーモアをのぞかせて相手を笑わせる。
下水処理、とひとことで言っても色々な作業がある。そもそも下水とは、汚水(トイレから出る排水)や、雑排水(家庭の台所、風呂、洗面や洗濯で生じる生活排水)、事業所からの産業排水などのほか、雨樋を通じて排水される雨水も含まれる。
「うちの仕事は主に汚水系。汲み取り式は今では減って、浄化槽(=各家庭の敷地内に埋め込まれた小型の汚水処理設備)と、下水道の維持管理がメイン。保守と点検、清掃、検査だな。異常が出れば修繕、トラブルが起これば対応。なるべく異常が出ないように、普段のメンテナンスから、怪しいところを先読みして防ぐ感じ。24時間何があるかわからんから、緊張感はあるよ。一番怖いのは、台風や大雨がきて影響が出たとき。本土から助けが来るわけではないし、自分たちでやらないけんから。以前、台風で停電したときには3日間寝ずに走り回ったこともある。停電しても、一般家庭では水を使い続けるんだから」
現在の社員は3人で、全員が地元出身者だ。
本土で専門的に学んできた中村さん以外は、経験ゼロから始めた人ばかりだという。
「俺は島前高校を卒業してから大阪の専門学校。環境設備科に入って、今の仕事のベースを学んだ。いつか帰ってオヤジの後を継ぐんだと決めていたからね。で、大阪で就職して経験積んで、松江へ移って同業者と横の繫がりを作ってから、島へ帰ってきた。この職業は、都会でも海士町に帰ってからでも仕事の内容は変わらないね。浄化槽管理士や浄化槽設備士や、関連する資格はいろいろあって、社員が資格取得を目指すための金銭的サポートは全部する。ヤル気さえあれば誰でも取れる。俺でも取れたんだから(笑)」
その期待に応えて、“ヤル気” を武器に成長してきた社員の一人、井田竜太さんに話を聞いた。井田さんは、海士町の保々見地区出身。島前高校卒業後、松江で4年ほど、大工や法面工の仕事で働いたが、結婚して子どもが生まれたことをきっかけに家族でUターンした。
「父親と一緒に働いている人の紹介で入社して、いま11年目です。毎日の主な仕事は、処理施設や関連設備の点検ですね。町の合併浄化槽、下水のポンプ場、クリーンマスとか。入社して最初にやったのは汲み取り作業でした。まずはバキューム車の操作から覚えて、抜くだけだから作業としては簡単です。仕事はすべて現場で先輩がやることを見て真似して、実践しながら学びました。入社した頃はおじいちゃんみたいな先輩もいて、色々教えてくれました。社員みんな個性的で、教え上手で、何でも言いやすい環境ですね、資格は入社1年後に取りました。大阪で講習10日間と試験を受けましたが、島で実際にやらせてもらっていたことがたくさん試験に出たので合格できた。やっぱり現場でやってる経験は強いなって、自信になりました。新入社員は勉強すること色々あるけど、僕もサポートするから頑張れ!と言いたい」
怠けるためにも、しっかり働くべし!
「でもヤル気だけじゃなくて怠ける心も必要だぞ!」と社長が口を挟む。
怠ける心。中村さんはそう表現するが、要は、メリハリをもって仕事も遊びもしっかりやれということだ。時間を何とかやりくりして、自分がやりたいことをやる工夫ができるかどうか。よく遊べ!とは、仕事の早さもレベルも上げて上手に働け、という意味に他ならない。
「時間はあるなしじゃなくて作り出すもの。そういう考え方で生きる。うまく仕事をこなして、空いた時間を好きなことに使えよと言いたい。本当にちゃんと仕事をこなしたら、後は釣り行ってもいいんだよ。…俺のことだけど(笑)」
この島は本気で遊ぶ大人が多いが、中村さんはその筆頭と言えるかもしれない。釣り、音楽、サバイバルゲーム…。
「やるなら本気。遊びも仕事も真剣にやるからこそ続くし、面白い。従業員も、仕事ばっかりじゃなくてちゃんと遊んでほしい。遊びというか、好きなことやれよと。16時半くらいに早めに終わって、部活のバスケ指導に行ったりしてる社員もいたよ。そういうの、俺は応援したい」
中村さん自身、海士レスリングクラブ(ちびレス)や島前高校レスリング部の指導をボランティアで長年続けている。レスリングは高校から始め、3年間続けた。当時顧問だったのは、故・上田和孝先生だ。上田先生は海士町西地区出身で、高校在学中に立ち上げたレスリング愛好会が後のレスリング部になった、言わばレスリング部の生みの親。教員時代にはレスリング部の指導に心血を注ぎ、上田先生が残した『愛される人間になれ』という言葉は石碑に刻まれて、今もレスリング場のそばで生徒らを見守っている。
「高校生のとき上田先生に憧れて、体育の先生になりたかった。で、先生が亡くなる3日前に、『お前、後を頼むわな』と言われたんよ。レスリング部を一緒に支えてやってくれと。その約束を守って、ずっと指導を手伝ってる。大江町長をはじめ、海士町にはレスラーの先輩がたくさんいて、みーんな個性強すぎる人ばっかりだな(笑)。俺は大したことはできないけど、レスリングを教えて、上田先生から教わった大事なことを伝えて、高校生らの将来に繫がればいいなと思ってる。卒業後は大学行くなり社会でるなりそれぞれなんだけど、レス部で頑張った時の経験をもとに頑張れ、って言えるように」
小さなコミュニティの組み合わせで成り立つこの島では、仕事以外の人間関係、スポーツや遊び仲間の繫がりが仕事に役立つことも多い。
例えば井田さんの場合は、Uターンしてすぐに始めたフットサルチームの仲間たち。
「自分はバレー部だったからフットサルなんてやったことなかったんだけど、お前もやらんかえ?と誘われて始めました。仲間たちが面白すぎて10年以上続けてますね。そういうところで育てた“横の繫がり”は、仕事する上でも助かるんですよ。松江にいた頃は、そういう繫がりは無かった。この島は、楽しいことに誘ってくれる人がいっぱいいる。繫がろうと思えば簡単に繋がれる。そこがいいところです」
逃げ出せない。逃げ出さない。
新しく仲間を迎えるならどんな人がいいですか?とたずねると、「あんまり真面目なヤツはいやだ。俺が疲れるから(笑)」と中村さん。さらに「地域に出て行ける人じゃないと厳しいと思うよ、ここでは」と真顔で言う。
隣で井田さんが大きくうなずく。
「仕事に慣れる前に、島に慣れなきゃいけません。まずは住む地区になじむこと。神社の祭りや地区の行事では地元民は必ず声をかけるから、一緒にやってほしい。地区の人と仲良くなれば、そこから繫がりが広がるから。職場でも、僕は仕事以外でも交流したいので、自分自身、何でも相談しやすい先輩でいたい。どっか飲みいこっか!家(うち)に飲みにくっか!って誘います。うちの社長はそういう感じ。僕もそうなりたいと思ってるんです」
地域になじみ、人と繋がる。そんな暮らしの中から、島の公共インフラを支える責任感や使命感も強まっていくのだろう。
「実際、逃げ出したくなるようなシーンはかなりあったけど…俺が逃げ出したら、みんなが困る。都会と違って、ここじゃみんなの顔が浮かぶ。小さな島でこういう仕事をするってそういうことだよな」(中村さん)
「そうですね。有事の時もそうだけど、普段でも…例えば、あれっトイレの水が流れない!とか、皿洗いしていてシンクの水がたまって抜けないどうしよう!とか困ったときに、あ、中ノ島CCにお願いすればいいんだ!っていう。そういう存在でありたいし、あらねばと思ってます」(井田さん)
「大変だけど、…やらなな」(中村さん)
二人のやりとり、その眼差しには、島のために、やることはやる!という確かな気合いがにじんでいた。