「うちは、民間工事も公共工事もやる、いわゆる総合建設会社なのでいろいろなことをやります。基礎工事から、ちょっとした工事は全て自分たちでできることはやる。とにかくこの島の建設業、建築業を紡いでいく、繋いでいく、そういう気持ちが強いです。地域の中で、建設業そのものを循環させていく。そんな会社を作っていきたいんですよ」
島に対する思いも強いからだろう、北峯さんの話は自社のことだけで終わらない。常に「島全体の建設業界をどうしていくか」が頭の中にある。
民間から公共工事まで、幅広い仕事を請け負う
だから今は「喉から手が出るほど人が欲しい」
「元々、社長(父)が個人の一人親方から始めて、その当時も忙しかったので人をすぐに雇うようになって、その当時は住宅工事を基本にしていました。資格を取り、建設業許可も取って会社化したのが、平成2〜4年くらいかな。そこから、公共工事も参入するようになりました」
もともとの民間住宅の仕事もしながら、時代とともに公共工事の案件も増加。受注金額の大きさは、町営住宅の建築や施設の改修といった公共工事が大きく、件数の割合としても6〜7割を占める。最近では空き家を宿に改修する仕事などもあり、島内で手広く仕事を請け負っていて、海士町だけでなく、島外でも仕事がある。現在、隠岐島全体として建設業界はどこも忙しく、担い手は「喉から手が出るほど欲しい」状態なのだという。
「現在は、社員が5名と、アルバイトが数名。現場だけでなく、設計スタッフもおり、設計・施工一貫して請け負っています。ですが、やっぱり人手は常に増えたらいいなと思っていますね」
北峯さんは、島の建設業界が大事な時期にあるとみている。というのも、北峯さん自身が大阪から10年ほど前にUターンした時に、すでに業界で働く人の数や年齢構成がバランスを崩していた。これには20〜30年前に景気が悪化した際、多くの大工さんが建設業から撤退したことが関係しているという。
「私が隠岐島に帰ってきた時点で、現場の高齢化は進んでいました。これには危機感を感じ、できることをしなければいけないと思って、この10年の間に若い子の受け入れもしてきました。一方、熟練の職人さんが入ってくれることは難しく、そこが圧倒的に足りていないですね。今は60代の職人さんもおり、何とかやりくりできているが、先々考えるとなんとかしないといけない」
島の中の建設業者を循環させるハブとなり
同時に若い人材も育成
ここ数年で、島の建設業界の状況も変わって来ているという。
「このところ、海士町は内装屋さんが辞められたり、クロス屋さんが辞められたりしている。そうなると、島外から業者を呼ばないといけません。本土から職人さんに来てもらうと、建設費の高騰にもつながるし、地域で仕事をしていく人が育たなくなる。だから、建設業みんなで協力していかないといけないと思っています」
海士町には個人経営の職人も多い。
「総合建設業だからこそ、いろんな会社の状況も知っている。忙しくてもすぐに従業員を雇えないという状況もあると思うし、手に職を持つ人がうまく島の業界の輪に入ることができるように、協力できることはしたいですね」
島には60代以上の職人経験者がいて、40〜50代が比較的少ない。北峯工務店では現在、公共工事を進めるにあたり、施工管理技士の資格を持った人を即戦力として求めている。さらに島内で慢性的に不足している大工、左官職人も、熟練者がいれば採用していきたいという。
一方、人材不足に危機感を感じ、積極的に自社で若い人材を育ててきた。北峯さんは、関心があれば未経験も歓迎だという。
「今働いている若いスタッフは全員未経験者で、うちが初めて働く建築会社でした。全く違う職種からの転職や、学校を卒業して建設業で働きたいと入ってきた人もいますが、そのまま〝この道でやっていこう〟となってくれました。もともと家族経営から始まった会社なので、根付きやすいというか、アットホームな雰囲気があるのかもしれないですね。
今、30代が3人いるんですけど、みんな楽しく和気藹々と働いています。仕事としても公共工事の割合が増えていくのと同時に免許や資格を持っていることで仕事の幅が変わるから、それを取るためのサポートにも力を入れています」
自分の時間を大切にしながら
働くことができる海士町
「ないものはない」というキャッチフレーズを打ち出している海士町。都会に比べてないものもあるが、逆に都会にはない魅力があると北峯さんは言う。
「とにかく海が近く、自然が近い。自分も大阪から帰ってきた頃はよく釣りに行ったり、海水浴に行ったりもした。自然が好きな人は向いていると思いますよ」
都会で働いた経験のある北峯さんは、働き方や時間の流れも大きく違う海士町で、新たな人生の価値観に触れてほしいと話す。
「自分自身も大阪にいましたが、都会でバタバタと忙しい生活でした。通勤に30分や1時間、下手したら2時間もかかっていたのが、海士町では現場まで時間がかかるということもない。ほぼほぼ島内で仕事が完結し、朝早くから夜遅くまで働く、ということがないので、自分の時間を作りやすいというのは魅力的じゃないですかね。社員も自分の時間を楽しんでいるように見えます。
都会での生活は時間に追われて大変な面もある。自分の時間を持てないという方が、仕事もしつつ、趣味やプライベートの両面も充実した生き方ができる場所として、海士町を選んでもいいと思うんです。仕事は大切ですけど、それが全てということではないので」
北峯さんご自身の趣味を聞くと、「今は忙しくてできないけど」と前置きした上で、かつてはガンプラ作りに没頭し、市販の塗料に満足できず、オリジナルの色を自作していたというエピソードも聞かせてくれた。こうした趣味が細やかな仕事のバックボーンになっているのだろう。
途絶えない仕事に対しての人材不足という課題はあるものの、「忙しくて大変と思われがちだが、そんなことはない。ここならメリハリをつけながら働いてもらえると思います」と北峯さん。海士町の建設業界は、こんな働き方ができる場所なのだ。