脇谷商店 OA事業部

港から海沿いから一本入った通りの一角。道を挟んで脇谷商店の店舗や事務所が並んでいる。事業社数がそこまで多くはない海士町で、複数の事業を掛け持つことはあることだが、脇谷商店ほど手広く仕事をしている会社はないかもしれない。

「もともとは曽祖母の酒屋から始まっているんですよ。ただ、いろんな需要が出てきて商店では飲食料、日用雑貨、医薬品そしてタバコも扱うようになっています。このOAの事務所兼文房具屋も、もともとあった文房具屋さんの担い手がいなくなってうちが吸収した形で10年前に始め、OA機器、文房具、教科書を担っています。あと一部不動産の賃貸業がありますね」

天井や窓の外に目線を動かしながら話す脇谷さん。扱う商品やジャンルを数える指は、両手では足りなかった。

「もう何屋さんかわからないでしょう(笑)。小さな島だと、専門店も大事ですけど、一店舗で揃わないとお客さんも次から次に移動しないといけないじゃないですか。アイテム数は少なくても、なるべく一店舗で大体のものが揃うよというのを目指しているのでこんな形になっています」

住民目線の店、会社作り。島の暮らしにとって、脇谷商店はなくてはならない存在なのだ。

島の暮らしを支える会社

父が40年前に法人化。脇谷さんは2年前に2代目となって、今は共同代表として会社を率いている。

「自分自身、島で生まれ育ったので、若い頃は都会的なものに憧れて高校から外に出ていました。高校は松江市に出て、大学は東京。東京で就職もして15年くらいは向こうにいましたねただ、親の病気があまりよくないよということだったので、早めに戻って一緒に生活基盤を持っていた方がいいなと思いました」

こうして、10年前にUターンで戻って家業を手伝い始めた。帰ってきて改めて感じたことは島において、脇谷商店の果たす役割と責任感だったという。

「うちは食品を扱っている以上、学校給食や島前高校の寮の食事にも関わっています。当たり前ですけど、これらは日々切らしてはいけないもの。うちにはこれを安定供給させる責任があります」

もちろん地元で地元産のものを消費できるのが一番いいけど、それでは海士町だと安定供給が難しくなってくるという。そこで大事にしている考え方が「地消地産」なのだという。

「地元で消費されるものは、できれば地元で作り出していきたい。ないものについては仕入れたりもするけど、地元で事業を起こしてでも作ることがベストだよねという考え方です。島の暮らしに関わるものは、ある程度外から仕入れることもしながら常に安定して供給することの方が大切ですから。こう考えてやる仕事は楽しくもあり、難しかったですね。ストックの量、ロスの問題もあるし、輸送の問題もある。公共事業じゃないけど、ないと島のみんなが困るのを感じる。やりがいも感じるし、大変さも感じます」

なくては困るものと言えば、立ち上げて11年になるOA事業部もそう。情報社会へと加速する現代において、生活の利便性を上げていく上でも欠かすことができないものだが、海士町では脇谷商店が頼みの綱だ。

大きな事務機器としては主にコピー機を役場や企業に卸すことが多く、需要は一定しているという。また、近年ではパソコンからタブレットに移行したいという声も多く、ネットワーク関連機器の需要もどんどん増えてきていると言う。

「なかなかIOTというか情報化に対しての企業が町になく、パソコン一つとっても使い方からソフトウェア的なことまで知識がない方が多いんです。パソコンでも、お客さんからサポートしてほしいと聞かれるのは、プリンターと繋いでくれとか、wifiってなんだ?とか、動画の上げ方を教えてくれとか、そのあたりのレクチャーまでやっていますから(笑)」

週5日勤務にはこだわらない。働き方もつくり出してほしい

多岐にわたる事業のことを、流暢に、そして目を輝かせながら話す脇谷さん。その柔軟な視点は、東京時代に国会議員の秘書を8年務めていた経験から来ているのだという。

「その頃はいろんな人と会い、いろんな考え方を聞きました。一方通行ではなく、情報の取り方とか、どこに落とし所を持ってくるとか、そういうことを考えながら多面的に物事を見なきゃいけないことがわかりました。狭い世界だけじゃなく、広く世界にも目を向けていかないといけない。どんな意見もその人の正解であって、間違ってはないと思うんです。だから私は誰かの意見を否定することはしたくなくて、どれも正しいだろうなと思って聞き、それを踏まえて自分の答えを考え出すのが大事だと考えています」

事業内容や地域性、物事を判断する際に固定概念や強いこだわりがあると、新しいチャンスがそこにあってもそれを見つけることができない。その点、この柔軟な考え方こそ、脇谷商店を脇谷商店たらしめる最大の武器なのかもしれない。それは、働き方にも言えるという。

「昭和のように人口が増えている時代であれば、人材もいろいろいただろうし、担い手も役割もたくさんあったと思うんです。でも、今はぐぐっと日本全体の人口が少なくなってきている。そんな時代だからこそ、働き方はさまざまでいいと思っているんです。
例えば、週5日勤務で何時から何時という形じゃなくても、自分がやりたいと思う主たる仕事や趣味を持ちながらでも、週の半分は弊社で働くスタイルでもいいと思っています。それが許容されないとすごく自由度がなく、つまらない人生じゃないですか。もちろん5日弊社にいてもらってもいいけど、柔軟にいろいろな働き方があるなかで、弊社を利用してもらうというか土台として考えてもらえるとお互いにやりやすいのかもしれない」

もちろん、仕事としてやらなければならないことは当然あるが、それに縛られずに自分の興味や能力を発揮してほしいというのが狙いだ。

「自分はこれが趣味で、これをぜひみんなに広めたいという思いがあってもいいじゃないですか。自分の趣味をむしろ強みに生かすような働き方ができると面白いと思っています」

仕事も、島も、楽しもう

海士町で生まれ育って、商売を続けてきた脇谷さんだからこそ、島に対する思いも強い。

「島はいっぱいお店があるわけじゃないから、誰かが複合的に担わなきゃいけないと思っています。隣近所が疲弊していて自分のところだけ儲かっていればいいなという状況も違う。共同生活じゃないけど、みんなで島の暮らしを作っているので、ある程度win-winの状況になっていかないといけない」
その上で、従業員たちも含めて島の暮らしを楽しみたいという。

「とにかく楽しんでやるのがいいんですよ。趣味でも、魚釣りであろうが、野菜作りであろうが、ラジコン作りであろうが、何かをしたいというきっかけさえ持ってきてくれるなら、弊社は扱っている商品も幅広いのでやろうと思えばなんでもできちゃう。アイデアや強みを活かしてくれる人、ぜひ入っていただきたいですね」

脇谷さん自身、まだ船を持つ夢は叶っていないが、ひとまず海を満喫しようと一級小型船舶の免許を取得。

「これもいつかみんなで一緒に海に出たいですね。遊びも楽しむ。それが違うビジネスチャンスを生むこともあるし、そんな働き方ができたらいい。何年後かにクルージングの事業部ができているかもしれない。そんな可能性だってないことはないかもしれないじゃないですか」

チャレンジしたり、まだ見ぬ世界に飛び込むのは少し勇気のいることだったりもする。

「大丈夫、ここには一緒に楽しみ、挑む仲間がいますから」

こんな柔軟なリーダーが、あなたの挑戦を待っている。

 

>脇谷商店 OA事業部の動画を見る