飯古建設(有)

この島で、紫色のダンプカーを見ない日は無い、と言っても過言ではない。
車体には「飯古建設」の文字。海士町で唯一の総合建設会社、飯古建設有限会社のことだ。

飯古建設は、1960(昭和35)年創業。以来60年以上にわたり、港湾や防波堤、橋、道路の建設など、島民の生活基盤を整える重要な役割を担う。現在は、主軸の建設業のほか漁業と畜産業も手がけ、島ならではの多角経営を行っているのが大きな特徴だ。

多角化が進んだのは、「海や山にまつわる地元の産業が元気だからこそ、自分たちの建設業がある」という想いが強かった前社長(故・田仲寿夫さん)の決断による。
漁業に参入したのは1996(平成8)年。当時、定置網漁の経営が赤字で苦戦していた漁協から事業を買い取ってくれないかと要請され、引き受けた。社内に定置網事業部を立ち上げ、今も社員9人が定置網漁師として働いている。さらに2004(平成16)年には、農業特区の認定を受けて有限会社隠岐潮風ファームを設立し、畜産業もスタート。この大胆な挑戦から、海士町のブランド黒毛和牛「隠岐牛」は生まれた。潮風ファームが仔牛の繁殖から肥育まで島内で一貫生産する隠岐牛は、今や東京食肉市場でも高い評価を得ている。

現在の代表取締役、飯古晴二社長はこう語る。

「平成5年、私の父親である1代目社長が引退し、田仲社長が2代目に就任した時から事業の多角化が始まりました。私は大学卒業後ずっと松江の建設会社で働いてきましたが、平成12年にUターン。飯古建設に入社して、まず定置網事業をしていることにビックリ。さらに畜産を始めてまたビックリ。経営は大丈夫なの?と懐疑的なところも正直ありました。でも私自身が社長になってからは、徐々に考え方が変わったんです。島にとっての重要な課題から目を背けず、各事業の社員たちと一緒に悩みながらやっていこう、というふうに向き合い方を変えた感じ。今は、定置網も畜産も、踏ん張って続けていかねばという強い気持ちが芽生えていますね。そのためにも、まず盤石にしなくてはならないのが、島のインフラを造り支える土木部門、当社の工務部です。なのに…そこに、人が足りていません!」

■人材育成のための費用と手間は惜しまない

飯古建設工務部の仕事は、道路や河川、橋、ダムを造ることだけではない。農道や用排水路などの圃場整備から、水道配管や排水の工事、倒木撤去や除雪まで、とにかく幅広く対応する。そのおかげで、地元住民の暮らしは便利・安全に保たれている。

工務部で働く宇野さんは、結婚を機に18歳で海士町へ移住した。19歳で飯古建設に入社し、今6年目。同じ島根県の平田(出雲市)出身だ。

「家族の紹介でこの会社を知りました。平田では飲食業の経験があったので、移住して最初の1年は民宿で働いていましたが、敢えて料理とは違うことにチャレンジしたくなって飯古の求人に応募しました。海が好きで船舶免許を持っているので、港湾に関わる仕事も楽しそうだなと思って」

料理から土木へ、かなり大胆なチェンジ。建設業の経験はゼロだったが、必要なことはすべて現場で教わったという。資格取得や技術向上のためのサポートが手厚いのは、未経験者にとってはありがたい。

「最初に入った現場はダムでした。土砂崩れを防止する砂防ダムの建設などを約2年。当然できないことだらけで、困ることも多かったけど、重機など必要な資格は会社の支援で取得しました。現場ではチームで働きますが、前の班長さんが色々と優しく指導してくれたことで自分は成長できました。難しくてなかなか分からない技術は、仕事が終わってからでも教えてもらったりしてましたね。地元出身の方で、今は他所に出ているんですが…最近久しぶりに会ったら『成長したな!』って言ってもらえて、嬉しかった。その方から僕が教わったことを、今、年下の子たちにも教えています」

ダム建設の後、宇野さんは港湾の現場へ。テトラポットを作ったり、岸壁だったところを壊して石を入れ、海水浴場(人口海浜)を整備したりする仕事だ。直近では、いま、御波区で新しい海水浴場を造っている。

未経験者への支援、人材育成のための費用と手間は惜しまない。そう、飯古社長は断言する。

「うちね、土木の経験があって入社してきた人、実はほとんどいないんですよ。9割9分は自社で教えて、一から勉強してもらってる。土木施工管理、造園、舗装、配管、現場監督も。2トン・4トン・10トンダンプ、生コン車、バックホー、クレーン…それらの資格や免許、全て金銭的なサポートをして取ってもらっている。今クレーンに乗れる人は10人近くいるんじゃないですかね。高専や工業高校、工学部出身とか関係ないので、誰でも来て下さい!と言いたい。その方の素質やセンスをこちらで判断させてもらって、相談しながら、色んなことをやりながら身につけていってもらいます。とにかくうちは本土と違って整備も自社でやらないといけないから、整備職も求人してます。整備士だって未経験でもいい。学びたい気持ちがあるなら資金援助します。今は腕の良い整備士さんが高齢化していてね、それくらい、次世代のための人材育成を重要視しているんですよ」

熟練の班長クラスが軒並み高齢化している今こそ、気概と技術を受け継ぐ若い人材が必要なのだ。働く側としては、絶好のタイミングであり格好のチャンスなはず。そう、ヤル気さえあれば…。

「若い人に入ってもらって、ベテランが健在なうちに彼らから教わってほしい。今ならまだ間に合う!」と、社長の鼻息は荒い。

仕事と暮らしのベストバランスを探る

そんな恵まれた環境で経験を積み、技術を磨いてきた宇野さん。どんな点にやりがいを感じているのだろうか。

「例えばビーチの仕事は、幼稚園の子たちが安全に海遊びを楽しめる場所をつくるということ。子どもたち含め、住んでいる皆さんが怪我なく安心安全で過ごせるよう、少しでも綺麗に造ろう。それを日々心がけてやっています。長く残るものですし、完成したときの喜びは、以前やっていた料理の仕事とはまた違った感動がありますね。災害を防ぐ構造物は、造ってもらえて安心したよと言ってもらえることもある。住みやすさに直結してるんですよね」

島民の命に関わる、責任ある仕事だ。とは言え現場はとても働きやすいと宇野さんは笑う。
会社の上司とは、休みの日にプライベートでも遊んだり、一緒に食事をすることもある。世代を超えた交流が、仕事で活きることも多い。

「年の差がけっこうある場合も、そう感じさせない対応をしてくれる人が多くて助かります。普段からコミュニケーションを取れていると、現場でも若い側の意見を聞いてくれますし。うちの会社は、社長のノリのせいか(?)、イベントも好きだし、仕事でもプライベートでも楽しく付き合おうっていう雰囲気があると思います」

宇野さんの順調な成長と仕事ぶりは、暮らしの充実とも関係がありそうだ。

「休日の楽しみは、海遊びが多いかな。夏は潜ったり、ジェットスキーで遊んだり。船釣りも好きです。釣りは、やったことがなくても隠岐へ来て釣り好きになる人が多いみたいです。コンビニ無い、スーパー無い、夜は7時や8時でお店が閉まるし、不便を感じることもあるけど、別にそれはそれで構わない。慣れれば時間の感覚も違ってくる。無いなら無いなりに、ここはここなりの楽しみ方ができます。期待しすぎず気軽に来て、まずはのんびりやってみてもいいんじゃないかなと思いますね」

バランスよく、力まず。無いことを受け入れて有るものを楽しむ、島暮らし。宇野さんはひとつのお手本と言えそう。

「UターンもIターンも大歓迎。仕事でも暮らしでも、何か悩みがあったら俺んとこに相談に来いよ!という気持ちはいつもありますよ」という飯古社長の言葉も心強い。

「海士町に来ることを迷っている方は、とにかく一度来てもらえたら、意外と生活しやすいと感じるんじゃないかな。地元民の喋り方とか言葉使いは、ちょっとキツいと感じるかもしれないけど、それは人情があるからこそ。実は愛情こもってるんですよ。それが海士町流だと思ってほしい」

島のため、飯古がやらねば誰がやる。だからこそ…

2021年8月の豪雨で、島内では各地で被害が出た。崖が崩れ、家屋スレスレまで土砂が迫ってきた現場もあり、飯古の社員は災害復旧に奔走した。また今年、2022年7月の豪雨災害でも同様の事態に…。

「もともと予定していた工事現場よりも災害復旧工事のほうが多かったかもしれない。そんな時も、島のあちこちの復旧を順番に一つずつ、コツコツやっていくしかない。うちのような地元の会社にしかできないことだし、そういう草の根のところから飯古建設は成り立っていると思っています」

現在の飯古建設には課題が多い。イコール、使命が多いということ。そして、課題は伸びしろでもある。島になくてはならない会社のトップが叫ぶ。

「島のためにやる。飯古がやる。だからこそ、この土木部門に人がもっと必要なんです」(飯古社長)

 

飯古建設(有)の動画を見る

 

脇谷商店 OA事業部

港から海沿いから一本入った通りの一角。道を挟んで脇谷商店の店舗や事務所が並んでいる。事業社数がそこまで多くはない海士町で、複数の事業を掛け持つことはあることだが、脇谷商店ほど手広く仕事をしている会社はないかもしれない。

「もともとは曽祖母の酒屋から始まっているんですよ。ただ、いろんな需要が出てきて商店では飲食料、日用雑貨、医薬品そしてタバコも扱うようになっています。このOAの事務所兼文房具屋も、もともとあった文房具屋さんの担い手がいなくなってうちが吸収した形で10年前に始め、OA機器、文房具、教科書を担っています。あと一部不動産の賃貸業がありますね」

天井や窓の外に目線を動かしながら話す脇谷さん。扱う商品やジャンルを数える指は、両手では足りなかった。

「もう何屋さんかわからないでしょう(笑)。小さな島だと、専門店も大事ですけど、一店舗で揃わないとお客さんも次から次に移動しないといけないじゃないですか。アイテム数は少なくても、なるべく一店舗で大体のものが揃うよというのを目指しているのでこんな形になっています」

住民目線の店、会社作り。島の暮らしにとって、脇谷商店はなくてはならない存在なのだ。

島の暮らしを支える会社

父が40年前に法人化。脇谷さんは2年前に2代目となって、今は共同代表として会社を率いている。

「自分自身、島で生まれ育ったので、若い頃は都会的なものに憧れて高校から外に出ていました。高校は松江市に出て、大学は東京。東京で就職もして15年くらいは向こうにいましたねただ、親の病気があまりよくないよということだったので、早めに戻って一緒に生活基盤を持っていた方がいいなと思いました」

こうして、10年前にUターンで戻って家業を手伝い始めた。帰ってきて改めて感じたことは島において、脇谷商店の果たす役割と責任感だったという。

「うちは食品を扱っている以上、学校給食や島前高校の寮の食事にも関わっています。当たり前ですけど、これらは日々切らしてはいけないもの。うちにはこれを安定供給させる責任があります」

もちろん地元で地元産のものを消費できるのが一番いいけど、それでは海士町だと安定供給が難しくなってくるという。そこで大事にしている考え方が「地消地産」なのだという。

「地元で消費されるものは、できれば地元で作り出していきたい。ないものについては仕入れたりもするけど、地元で事業を起こしてでも作ることがベストだよねという考え方です。島の暮らしに関わるものは、ある程度外から仕入れることもしながら常に安定して供給することの方が大切ですから。こう考えてやる仕事は楽しくもあり、難しかったですね。ストックの量、ロスの問題もあるし、輸送の問題もある。公共事業じゃないけど、ないと島のみんなが困るのを感じる。やりがいも感じるし、大変さも感じます」

なくては困るものと言えば、立ち上げて11年になるOA事業部もそう。情報社会へと加速する現代において、生活の利便性を上げていく上でも欠かすことができないものだが、海士町では脇谷商店が頼みの綱だ。

大きな事務機器としては主にコピー機を役場や企業に卸すことが多く、需要は一定しているという。また、近年ではパソコンからタブレットに移行したいという声も多く、ネットワーク関連機器の需要もどんどん増えてきていると言う。

「なかなかIOTというか情報化に対しての企業が町になく、パソコン一つとっても使い方からソフトウェア的なことまで知識がない方が多いんです。パソコンでも、お客さんからサポートしてほしいと聞かれるのは、プリンターと繋いでくれとか、wifiってなんだ?とか、動画の上げ方を教えてくれとか、そのあたりのレクチャーまでやっていますから(笑)」

週5日勤務にはこだわらない。働き方もつくり出してほしい

多岐にわたる事業のことを、流暢に、そして目を輝かせながら話す脇谷さん。その柔軟な視点は、東京時代に国会議員の秘書を8年務めていた経験から来ているのだという。

「その頃はいろんな人と会い、いろんな考え方を聞きました。一方通行ではなく、情報の取り方とか、どこに落とし所を持ってくるとか、そういうことを考えながら多面的に物事を見なきゃいけないことがわかりました。狭い世界だけじゃなく、広く世界にも目を向けていかないといけない。どんな意見もその人の正解であって、間違ってはないと思うんです。だから私は誰かの意見を否定することはしたくなくて、どれも正しいだろうなと思って聞き、それを踏まえて自分の答えを考え出すのが大事だと考えています」

事業内容や地域性、物事を判断する際に固定概念や強いこだわりがあると、新しいチャンスがそこにあってもそれを見つけることができない。その点、この柔軟な考え方こそ、脇谷商店を脇谷商店たらしめる最大の武器なのかもしれない。それは、働き方にも言えるという。

「昭和のように人口が増えている時代であれば、人材もいろいろいただろうし、担い手も役割もたくさんあったと思うんです。でも、今はぐぐっと日本全体の人口が少なくなってきている。そんな時代だからこそ、働き方はさまざまでいいと思っているんです。
例えば、週5日勤務で何時から何時という形じゃなくても、自分がやりたいと思う主たる仕事や趣味を持ちながらでも、週の半分は弊社で働くスタイルでもいいと思っています。それが許容されないとすごく自由度がなく、つまらない人生じゃないですか。もちろん5日弊社にいてもらってもいいけど、柔軟にいろいろな働き方があるなかで、弊社を利用してもらうというか土台として考えてもらえるとお互いにやりやすいのかもしれない」

もちろん、仕事としてやらなければならないことは当然あるが、それに縛られずに自分の興味や能力を発揮してほしいというのが狙いだ。

「自分はこれが趣味で、これをぜひみんなに広めたいという思いがあってもいいじゃないですか。自分の趣味をむしろ強みに生かすような働き方ができると面白いと思っています」

仕事も、島も、楽しもう

海士町で生まれ育って、商売を続けてきた脇谷さんだからこそ、島に対する思いも強い。

「島はいっぱいお店があるわけじゃないから、誰かが複合的に担わなきゃいけないと思っています。隣近所が疲弊していて自分のところだけ儲かっていればいいなという状況も違う。共同生活じゃないけど、みんなで島の暮らしを作っているので、ある程度win-winの状況になっていかないといけない」
その上で、従業員たちも含めて島の暮らしを楽しみたいという。

「とにかく楽しんでやるのがいいんですよ。趣味でも、魚釣りであろうが、野菜作りであろうが、ラジコン作りであろうが、何かをしたいというきっかけさえ持ってきてくれるなら、弊社は扱っている商品も幅広いのでやろうと思えばなんでもできちゃう。アイデアや強みを活かしてくれる人、ぜひ入っていただきたいですね」

脇谷さん自身、まだ船を持つ夢は叶っていないが、ひとまず海を満喫しようと一級小型船舶の免許を取得。

「これもいつかみんなで一緒に海に出たいですね。遊びも楽しむ。それが違うビジネスチャンスを生むこともあるし、そんな働き方ができたらいい。何年後かにクルージングの事業部ができているかもしれない。そんな可能性だってないことはないかもしれないじゃないですか」

チャレンジしたり、まだ見ぬ世界に飛び込むのは少し勇気のいることだったりもする。

「大丈夫、ここには一緒に楽しみ、挑む仲間がいますから」

こんな柔軟なリーダーが、あなたの挑戦を待っている。

 

>脇谷商店 OA事業部の動画を見る